• 代表理事

一般社団法人ピースピースプロジェクト 代表理事 多田多延子

平和を創る子ども達を育て、
子ども達が安心して暮らせる地球を創る

広島生まれ、広島育ちの女性起業家。
10歳の時、交通事故による脳内出血で生死の境をさまようが奇跡の生還を果たす。
生かされている感謝と感激を形に表すため、社会に役立つ起業家を志す。

学生時代、初代ミスJR広島としての経験を活かし、女性の人材教育・派遣業を自己資金で起業。
800名のスタッフと共に全国展開を果たす。

卒業後はNHKのパーソナリティ等キャリアを積む。

1996年、株式会社ティーエスピーを設立。
東日本大震災を機に、再生エネルギー推進の重要性を痛感し、太陽光分譲仲介を全国で開始。
国策を活用し、安定した利益を得ながら環境保全に寄与できる堅実投資と好評。

2009年、ピースピースプロジェクト始動。
世界一大きい折り鶴ギネス記録にチャレンジ。翌年ギネス記録登録(現在保持中)。
その記者会見の日からお逢いする人に幸せになっていただきたいとの願いを込めて、365日ピンクの洋服を身に着けている。
「ピンク社長®」でGoogle検索1位。

交通事故による脳内出血。
生かされている感謝を形に表すため、社会に役立つ起業家を目指す。

原爆ですべてを失った曾祖母が、両親を亡くした幼い母を自らの力で育て事業を再生した姿を見て育ちました。
「私もひいおばあちゃんの様に大切な人を助けることが出来る起業家になりたい」と 3歳の時から起業したいという想いがありました。

10歳の時に、自転車の交通事故による脳内出血で瀕死の重体となり、生死の境をさまよいました。
生存確率数%、運良く助かっても寝たきりか半身不随と宣告されましたが、 名医の執刀の元、2週間で退院を許されました。
毎日隣の病室の方が、うめき声をあげ亡くなっていく緊急病棟の病室の中で、極限の死への恐怖を体験しました。
死に直面した後、死生観が変わり、生かされている事を感謝するようになりました。
死生観が変わった10歳のわたくしが決意した事は、生かされている感謝を形として「証」を立てる事でした。
その感謝の証として、社会に役立つ起業家を目指す事を決意しました。
小学生の私は、図書館での偉人伝を読み、「どのようなことが社会に役立つのか」、 「どのような生き方を目指すのか」を学ぶことから始めました。

中学生の時のアメリカでの体験が、18歳の起業への勇気に

母は、私が生まれる前から、中学校1年生の時にアメリカ行きの準備をしていました。
幼稚園の時から、茶道、華道、書道、合気道、邦楽などさまざまな日本文化を体験させてくれました。
当時一ドル250円でしたので、かなりの費用がかかったと思います。
それでも、母はわたくしにアメリカ文化を体験させたかったようです。

母の友人は、東京銀行の幹部で、自宅でのパーティーにはさまざまな国籍の起業家達で溢れていました。
こんなにたくさんの国籍の起業家達にお逢いする機会は初めてでしたが、 みなさんとても優しくキラキラされていたことが、私の起業家イメージをさらに良いものにしてくれました。
今では、一般家庭にも普及しているウォーターサーバーですが、 30年以上前のアメリカの一般家庭には一部屋に一台ありました。
ディスポーザブルや日本で見たこともない製品に触れるたびに
「日本ではまだないけど、アメリカで成功しているビジネスはたくさんある」
と、大きなビジネスチャンスを感じました。
この時の経験が、「新しいビジネスにチャンスあり 」と、後の18歳の時の起業に勇気と確信を与えてくれました。

高校時代の碑巡りボランティアがきっかけ。
ヒロシマから世界平和を発信したいという想い。

高校生の時から、広島の平和記念公園内の記念碑を案内するボランティア活動に参加していました。
しかし、どの資料も広島の被爆の悲惨さを伝えるものばかりでした。
平和学習に訪れた方々からは、「広島に来るとつらい原爆の歴史を思い出すから、 もう広島に来たくない」と言われ、何度も悲しい経験を致しました。
現在も世界各国で「広島の原爆展」が開催されていますが、
被爆直後の焼け野原となったヒロシマと、被爆した方たちのやけどの悲惨な 写真パネルばかりが展示されていることも、私の中で悲しいギャップとなっていました。
今でも広島は、放射能を含む「ブラックレイン」に象徴される 「被爆地ヒロシマ」のままなのだということを知り大きなショックを受けました。

広島は、悲しい思い出だけの都市ではありません。
がれきの中から見事に復興を遂げた、希望あふれる「復興都市」です。
原爆の悲惨さだけを伝えるのではなく、平和を願い続ける都市であると知って欲しいと願っていました。

お逢いする方の幸せを願い、365日ピンクの洋服を。
「世界最大の折り鶴」ギネス記録会見から、「ピンク社長」に。

ピンクの洋服を着るきっかけとなったのは、 中学生の時にアメリカの友人から「Taeko is in the Pink」と呼ばれたことがきっかけです。
「in the Pink」の意味を聞くと、「幸せに満ちているっていう意味だよ」と教えてくれました。
その他にも、「健康である」「絶好調」など素敵な意味でした。

色彩療法などでも活用されているピンクは、
見るだけで発がん性物質が10分の1に減少したり、 βエンドルフィンやドーパミンといった脳内物質が分泌されることも医学的に実証された 「健康にする力をもった」色です。
私は、光栄にもマザーテレサと同じ誕生日です。
「世界平和の為に何をしたらよいですか?」という質問に
マザーテレサが「帰って家族を大切にしてあげてください」とおっしゃった名言に感銘し、 世界平和とは「幸せな人の集合体が大きくなること」が最短路だと理解しました。

自らの実践として「お目にかかる方が益々しあわせになって頂きたい」との 願いを込めて365日ピンクのお洋服を着ています。
2009年、世界平和を祈り、「世界最大の折り鶴」に挑戦し、翌年ギネス認定されました。
ギネス挑戦の記者会見以来、365日、毎日ピンクのお洋服を着て 「お逢いする方がもっとしあわせになって戴きたい」と祈っていたところ、 皆様より「ピンク社長」と愛称で呼ばれるようになりました。

平和を創る子ども達を育てる
平和についての想い

活動開始から、「世界一大きな折り鶴」でギネス記録を達成、
広島にオリンピックを招致する応援隊を結成し、60万を超える署名を市長に提出するなどの活動を経て、
戦後70年の節目に、ピースピースプロジェクトを法人化致しました。

ところで、「世界平和」と聞いても、具体的なイメージが沸かない方もいらっしゃるかもしれません。
第二次世界大戦後、長い月日が経つにつれ、
戦争があった当時の事を直接体験して復興を記憶されている方は非常に少なくなってきています。
私たちは、今の平和が多くの先人達の努力により維持されているという事や、
先人達が、どのように平和を築いてきたのかを学ばなければなりません。

世界では、約2億5000万人の子ども達が紛争のある国や地域で暮らしています。
どんな環境に生まれ育った子どもであっても、子ども達が安心して暮らせる地球を創ることは、非常に緊急かつ重要な課題です。
ピースピースプロジェクトでは、
世界平和実現とは、子ども達が安心して暮らせる地球を創ることと定義し、
世界平和実現のために、平和を創る子ども達を育てています。

ヒロシマ復興の史実から、平和の創り方を伝える

2015年、戦後70年を機に、戦争でほとんどの男手を取られた中で広島の復興を支えた曾祖母、祖母、母、女性たちの実話を描いた漫画「キセキのヒロシマ」を原作・自費出版致しました。
壊滅的な状況の中でも、前を向いて希望を持ち続けることで困難を乗り越え復興した歴史的事実と、憎しみではなく、恕す心で慈しみ、敬いあえる事を祈り、平和の大切さをテーマに制作致しました。
2016年3月には英語版「ヒロシマミラクル」、2017年には日本語版の合本版、
2020年には、クラウドファンディングで、フランス語版を出版致しました。

ノーベル平和賞受賞、オバマ元アメリカ大統領からは、英語版ヒロシマミラクルを読んで「感動した!」という内容のお礼状を賜りました。

「キセキのヒロシマ」を読まれたすべての人々が、「恕す心」と「慈しみ、敬いあえる心」で、対立のない平和な世界が1日も早く実現することを心より願っております。
もし興味を持たれたら、是非、手に取ってご覧いただき、平和学習にご活用いただけましたら光栄です。

 

応援サポーターと一緒に、世界平和を実現したい

私たちは世界平和実現のために、平和を創る子ども達を育てる活動を推進しております。
活動にご賛同いただけましたら、是非、私たちの活動の応援サポーターになってください。

皆様のご参加をお待ちしております。
子ども達の未来が愛と平和に満ち溢れた世界になりますように。